京都丸紅株式会社の歩み

1858年(安政5年)

丸紅株式会社創業

初代伊藤忠兵衛は天保13年(1842)7月2日、近江国彦根藩井伊氏の所領八目邑で5代目長兵衛の次男として生まれました。家業は農耕のかたわら麻・紅木綿などを商っていました。安政5年(1858)、忠兵衛17歳。初めて持下(もちくだ)りに出発しました。この持下りによる純利益は7両を数えました。彼が初持下りを行ったこの安政5年をもって創業の年と定めています。

1872年(明治5年)

大阪に呉服太物商 紅忠設立

伊藤糸店 明治26年開店/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

伊藤糸店 明治26年開店/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

紅のれんが下がる伊藤京店/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

紅のれんが下がる伊藤京店/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

1872年(明治5年)正月、忠兵衛は大阪・本町で呉服太物商を開店、紅忠と名づけました。時に31歳。大阪では淀川はじめ大小の運河に近代的架橋工事が進み、電信開通など、文明の波が封建制の残滓を押し流しつつあり、交通機関の発達が流通形態を一変させました。持下り業の終焉につながったのです。暖簾をとしたのは明治16年12月です。17年1月、紅忠を伊藤本店と改めました。同時に、京都・室町通四条下ルに染呉服卸問屋を開き、伊藤京店としました。

1914年(大正3年)

伊藤忠合名会社設立から株式会社伊藤忠商店設立へ

大正3年(1914)7月、欧州の一角におこった第1次世界大戦は、世界市場の混乱と生産力の破壊をもたらしましたが、日本には有利に作用しました。伊藤家の事業はさして影響されず、今後の高揚が見通せた大正3年(1914)12月29日、個人商店から合名会社に改組して、伊藤忠合名会社が設立されました。大正7年(1918)12月1日、伊藤忠合名会社は資本金を増資するとともに、営業部を分割して伊藤忠商店と伊藤忠商事の二つの株式会社を設立しました。株式会社伊藤忠商店は呉服物・洋反物・ラシャを取り扱う大阪本店と京呉服いっさいと染工場をもつ京都支店とを合名会社から継承しました。

1921年(大正10年)

株式会社丸紅商店創立

1927年改築 丸紅商店京都支店/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

1927年改築 丸紅商店京都支店/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

株式会社伊藤忠商店を母体に、伊藤長兵衛商店との合併によって新しく生まれ変わった株式会社丸紅商店が、業界嘱目の裡に発足したのは大正10年(1921)3月10日でした。京都支店は、大阪本店の大衆を対象とする量の商いに対し、量より質・意匠に重点をおく伝統商法をとりました。しかし大正11年以後、中級品も交えて積極的に売上高を伸ばす方針になりました。

1927年(昭和2年)

京都支店で第1回美展開催

第一回美展図録/出典・京都丸紅美展の歩み

第一回美展図録/出典・京都丸紅美展の歩み

大正12年(1923)9月1日に起こった関東大震災および昭和2年(1927)3月の金融恐慌に際し、丸紅商店は懸命に難局打開を図り、若干の恐慌のあおりを受けましたが、1割配当を堅持できました。8月には京都支店の改築がなり、年末には「染織逸品会」の名称で第1回美展を開催しました。以後、春秋2回開催、衣裳流行界の指標的存在となりました。

1938年(昭和13年)

京都支店新ビルに移転

新装成った丸紅京都支店ビル/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

新装成った丸紅京都支店ビル/出典・丸紅通史(丸紅株式会社)

丸紅京都支店ビル/出典・株式会社丸紅商店京都支店 竣工記念

丸紅京都支店ビル/出典・株式会社丸紅商店京都支店 竣工記念

昭和13年(1938)2月には京都市下京区烏丸通四条下ル水銀屋町に竣工した新ビルに京都支店は移転しました。地下1階、地上8階、塔上2階の白亜の殿堂は当時京都一の大ビルで、近代的な内部設備を施し、什器・備品類をスチール製に統一して、従来の問屋のイメージを一変させました。

1944年(昭和19年)

大建産業株式会社設立

昭和16年(1941)に、株式会社丸紅商店と伊藤忠商事株式会社と株式会社岸本商店が合併して三興株式会社が発足しました。第2次世界大戦の戦局ますます不利な時局に対処するため、昭和19年(1944)9月、三興は姉妹会社の呉羽紡績・大同貿易と合併、大建産業株式会社を設立することになりました。大建産業は輸出入・国内販売を営む巨大商社であるとともに繊維品製造をはじめ化学品・鉄鋼・製材・鉱山・農林・水産・畜産などの生産事業を直営し、また各種の事業会社に対する投融資を行なうコンツェルン的な総合経営体として発足しました。

ここまで出典・丸紅前史(丸紅株式会社)

1949年(昭和24年)

丸紅株式会社の発足

昭和24年(1949)12月1日、大建産業株式会社から分離独立し、丸紅株式会社として新発足しました。第2次世界大戦と敗戦による混乱、戦後の連合軍による占領政策と過度経済力集中排除法などで試練を課されているなかでの発足でした。

1955年(昭和30年)

丸紅飯田株式会社の発足

丸紅と高島屋飯田株式会社が合併して、昭和30年(1955)9月1日に資本金16億円の丸紅飯田株式会社が発足しました。

1972年(昭和47年)

丸紅株式会社へ社名変更

昭和30年(1955)の高島屋飯田合併とともに、社名を丸紅飯田株式会社と変更しましたが、海外からの要望もあり、東京本社の竹橋ビルへの移転を機に昭和47年(1972)1月1日から、再び丸紅株式会社としました。

ここまで出典・丸紅本史(丸紅株式会社)

1977年(昭和52年)

京都丸紅株式会社設立

昭和52年(1977)7月1日に丸紅株式会社京都支店のすべての営業権を譲渡されて、京都丸紅株式会社が設立されました。事業内容は和装品を主体とした製造卸業およびその関連事業です。

1999年(平成11年)

京都丸紅株式会社の社屋を烏丸五条上ルに移転

2005年(平成17年)

アンテナショップ 和風館ICHIを烏丸三条に開設

2009年(平成21年)

和風館ICHI 京都店 三条柳馬場に移転

2015年(平成27年)

和風館ICHI 東京店を東京都渋谷区神宮前に開設

和風館ICHI 東京店

和風館ICHI 東京店

2018年(平成30年)

和風館ICHI 京都店 烏丸五条に移転

和風館ICHI 京都店

和風館ICHI 京都店